アーロウン ミンガラバー (みなさん、こんにちは)
ネーカウンラー? (お元気ですか?)
こんにちは、ススム(@Susumu_Shimoda_)です。
私は2018年10月25日から2020年3月までミャンマーで生活していました。
今回は、「ビルマ式社会主義と8888民主化運動」について紹介します。
「国際協力に興味のある方」や「海外が好きな方」、「ミャンマーで生活予定の方」へ参考になればと思います。
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ビルマ式社会主義とは
1948年に、ビルマは長く続いたイギリスの植民地支配からの独立を果たし、イギリス政府と独立について尽力したのが建国の父とされている、アウンサン将軍で、国家顧問アウンサンスーチ氏の父です。
アウンサン将軍は、イギリスから独立を果たし、少数民族の自治権を尊重した連邦制の創設を目指していたと言われています。
アウンサン将軍は独立前に、政敵であるウー・ソーらに暗殺されてしまいました。
独立後にはウー・ヌーが首相となり、限定的な社会主義政策を実施しました。
ここで、異議を唱えたネーウィンが、1962年に軍事クーデターを起こし、「ビルマ式社会主義」を創りあげました。
「ビルマ式社会主義」では、一党独裁、産業の国家独占、外国資本の排除、外国人の入国制限などの施策がされており、事実上の「鎖国」体制を築いていました。
この体制では、仏教徒であるビルマ族を優遇するなどの「仏教社会主義」状態にもなっていた為、キリスト教の多いカレン族やカチン族などを追いやる事となり民族紛争の要因にもなりました。
「ビルマ社会主義計画党」による一党独裁制となったが、「(ビルマ国民は)国軍を父とせよ」というスローガンに見られるように、実際はネーウィンの支配基盤は軍で固められており、党員の殆どは軍人で、官僚やビジネスは軍主導で行うなど、権限を強化する事に努めていました。
このネーウィンによる独裁政治は、1988年の民主化運動(8888民主化運動)によって崩壊するまでの26年間続きました。
戦前までアジアで最も豊かだったミャンマーですが、他のASEAN諸国と比較して著しく経済発展が滞り、アジア最貧国と呼ばれる様になりました。
ネーウィンによるビルマ式社会主義は終わりましたが、その後「軍事政権」という体制に変わっていきました。
8888民主化運動
1988年8月8日に行われた学生を主体とするデモで、ネーウィンの長期独裁政権は終わったが、この民主化運動で多くの学生と僧侶が命を落としました。
ビルマ式社会主義下では、学生への影響が大きくあったといいます。
特に多くの大学が大学閉鎖などの影響を受け、軍が指揮する学校に通うか、外国へ行くかの選択だったといいます。
軍の学校では、銃の使い方などの訓練などで、一般的な大学とはかけ離れたものでした。
2021年2月22日にミャンマーでは何万人もの国民が各地で大規模な「22222デモ」が起こりました。
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ミャンマーでの政治体制や経済施策にはこの様な歴史がありました。
以上が今回のブログとなります。
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それでは、タッター (じゃあね)
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