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【国軍】ミャンマーでのクーデターと国民がデモをする理由とは?

こんにちは、ススムです。

連日ニュースでも取り上げられていますが、ミャンマーでは国軍によるクーデターが起こり、ミャンマー全土ではデモが行われています。今回は「クーデターの背景とデモ」に焦点をあてて紹介します。

この記事を書いた人はこんな感じです。⇩

著者

  • 2018年にミャンマー、ヤンゴンに到着
  • 日本・現地の語学学校にてミャンマー語学習(4ヶ月)
  • 現地の学校にて2年間ミャンマー語での指導(現地人との会話を通してスキルアップ)
  • ミャンマー国内数十ヵ所の地を旅行
  • ミャンマー語基礎会話・読み書き・専門用語の取得
  • ヤンゴンの学校でスポーツ指導(ミャンマー語)
  • オンラインで国際協力

※この記事を書いている私について詳しくはこちらで紹介しています。

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本記事の内容

・ミャンマーでのクーデターとデモ

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ミャンマーで何が起こったのか?国軍が何をしたの?

2021年2月1日に、ミャンマーの首都ネピドーにて国軍によるクーデターが発生しました。

これにより、国家顧問のアウンサンスーチー氏とウィン・ミン大統領をはじめとするNLD関係者45人以上の身柄を拘束し、現在も軟禁状態だといいます。

これにより軍は、憲法417条に基づいて1年間の非常事態宣言を発令し、軍出身のミンスエ副大統領を大統領代行とし、ミャンマーの政権を掌握しました。また、ミン・アウンフライン国軍総司令官立法・行政・司法の三権を握りました。その後に国家行政評議会を設立し、新たな閣僚を任命しました。

クーデター発生後、インターネットや電話が遮断され、連絡が出来ない状態に。

クーデターが起こった原因は?

国軍がクーデターを起こした主張の一つに、2020年11月8日に行われた総選挙で、アウンサンスーチ氏率いるNLDが不正をしたからだと言う。

総選挙では、国会の定数664議席のうち、4分の1を占める軍人議席と、治安の悪化で選挙が中止された選挙区の22議席を除く476議席が争われ、国民民主党(NLD)が2015年に行われた総選挙を上回る396議席を獲得し、改選議席476議席のうち8割以上を獲得して圧勝しました。

しかし、国軍は、総選挙で800万件以上の不正行為があったことが判明したと発表しました。

国軍によると、異なる町から名簿を集めたところ、国の同じ登録番号がいくつも見つかったといい、それらは同じ名前の人に使われていることもあれば、異なる名前の場合もあったという。

また、国の登録番号がまったく記されていないものも見つかったとしている。

しかし、これには確かな証拠がないとされている。

最終版の有権者名簿は選挙後、非公開とされ、選管も個人情報を理由に公開していないためです。

しかし、選挙の際に、多重投票の防止策を取っていました。

この様に、投票を済ませた人の指には、1週間は落ちないインクで色をつけていました。

ミャンマーで使われたインクは、簡単に消えないインクで、国連と日本から提供されたものです。

この様な方法は、世界各地の多くの選挙で使用されいます。

このインクは、日光に当たると肌に染み込む硝酸銀を混合し、「水、せっけん、液体、家庭用洗浄剤、洗濯洗剤、漂白剤、アルコール、アセトン、その他の有機溶剤などでは落ちない」とされています。

国軍はまた、有権者名簿には国の登録カードをもたない500万人近くの名前も記されていたと主張していますが、これは、名簿上の人々の投票権に疑念を示すものだが、どのように起きたのかは明らかにしていません。

ミャンマーの選挙管理委員会は、公的に身分を証明する登録カードがなくても、地元当局が認めれば、有権者名簿に名前を載せることは可能で、その場合は文書で、その人物が地元住民であることを認定にする必要があるといいます。

投票所では、他に身分を証明するものがあれば、登録カードの提示は必須ではありません。

この事は、2015年に行われた総選挙でも同じ指摘がありました。

こういった経緯から国軍は反発を示し、2月1日に開会される総選挙初の議会開催にも反対を示し、同日、クーデターが起こりました。

ミャンマー国民によるデモ

2月1日にクーデターが起こり、国軍が政権を掌握してからは、「アウンサンスーチー氏の解放」「軍事政権への反対」などの理由から連日、ミャンマー全土で大規模なデモが行われています。

ミャンマー国民は、民主主義を貫くべく、「非暴力・不服従」のやり方で訴え続けている。

3本の指を掲げ「CDM(Civil Disobedience Movement)」「市民的不服従」のスローガンの元、現在も戦い続けています。

この3本指を掲げる意味としては「独裁への反対」を示します。

普段は、温厚で仕事にも必至に取り組むミャンマー人だが、「軍事政権下での業務への従事はしない」という動きも出ています。

軍の命令により、夜8時から朝4時までの夜間外出禁止令が出ており、国民はこれに抗議する動きとして、鍋などの貴金属などで音を鳴らすなどの行為をしています。

そんな中、軍は、「逮捕令状などをなしに家宅捜索や逮捕を出来る」などといったルールに改正したといいます。夜中に、勝手に家に入ってきて、デモを行なっている人達を拘束しているといいます。

また、国が「囚人を立派な市民に変え、社会を満足させるために、平和、発展、規律を通じて新たな民主主義国家を構築している」として、外国人55人を含む2万3314人の囚人に恩赦が与えられ、釈放されています。

この囚人達は、夜間に車やバイクで街に降ろされて、民間宅に乗り込んで誘拐したり、水に毒を混ぜたり、火炎瓶を投げて家を燃やしたりなどを繰り返し行なっています。

これは、軍が囚人達に麻薬などを吸わして、思考力が鈍った状態で行わせているといいます。

ミャンマー国民達は、夜も安心して寝れない状況が今でも続いています。

ミャンマー国民は「平和的な訴え」でデモを続けていますが、治安部隊がデモ隊を追い払う為の手段として銃を用いています。日本でのニュースでは、「ゴム弾」とされていますが実際は「実弾」を使用しました。

これにより、ネピドーでデモに参加していた20歳の女子学生が頭を撃たれて死亡しました。

また、マンダレーでもこの様な惨劇が起き、現在までで4人の方が亡くなっており、多くの方が怪我を負っています。

私の配属先の同僚や仲間と時々連絡を取りますが、無事だったので安心しました。

色々と想う事はあるだろうが、私の配属先の同僚達は、今も仕事に打ち込んでいるといいます。

ミャンマーの保健スポーツ省は、こんな状況下ではありますが、今までスポーツに励んできた選手の為にSea Gamesの選考会の実施を検討しているといいます。

この様な、現地でのリアルな情報とメディアで取り上げられている情報には多少差異がある様に感じています。

ミャンマーでは、SNSや通信の遮断が行われています。なので、ミャンマーで今何が起こっているのか?どんな現状なのか?について少しでも多くの方にこの情報を知って頂ければと思います。

ミャンマーの歴史を説明しているこちらの本もおすすめです!

【ミャンマー政変】

【アウンサンスーチーのミャンマー】

【ミャンマーの歴史教育】

まとめ

私の同僚や教え子達をはじめとするミャンマーの為にこれからも私に出来る支援をしていきます。

また、何かあったら紹介したいと思います。

質問などがあれば気軽にコメント下さい。

以上が今回のブログとなります。

読んで頂きありがとうございます。

また次回お会いしましょう。

それではタッター

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※ミャンマースポーツコミュニティ【Myanmar Sports/ISPE】

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